伝統と先端の多様な創造が感性を刺激する上野アートスポット探訪

東京上野には、上野恩賜公園内にある日本を代表する博物館や美術館をはじめ、伝統と新たな文化が融合したギャラリーなど、多数のアートスポットが存在します。今回はアートの街・上野のルーツと、注目のスポットを紹介します。

アートが盛んになる発端は、明治期の国家プロジェクトにあった

東京国立博物館や国立西洋美術館、東京都美術館などが所在する上野恩賜公園一帯は、かつて寛永寺の境内で、上野戦争後の1873(明治6)年に公園が開園しました。当時は、幕末からの廃仏毀釈(※1)の反動で文化財を保護しようとする声が高まった時期。そうした社会背景のもとで企画されたのが、産業の育成を目的とした国を挙げてのプロジェクト「内国勧業博覧会」でした。全5回開催されたうち、第1回から第3回の会場に上野が選ばれ、1890(明治23)年の第3回で会場内に日本初の電車を走らせ話題を集めるなど、回を重ねるごとに規模を拡大していきました。こうして内国勧業博覧会を経て文化の中心地となっていった上野では、1887(明治20)年に現在の東京藝術大学の美術学部の前身である東京美術学校が開校。日本における芸術の最高学府の拠点となり、アートの中心地としても目されるようになりました。

公園内に美術館や博物館が設立されるようになったのも、この時期からです。東京国立博物館は、日本初の博覧会「湯島聖堂博覧会」の展示品を収蔵するために設立された施設が起源で、その開催年である1872(明治5)年を創立年としています。その後、国立科学博物館の前身である教育博物館が1877(明治10)年に、東京都美術館の前身である東京府美術館が1926(大正6)年に、世界的な建築家ル・コルビジェが本館を設計したことで知られる国立西洋美術館が1959(昭和34)年に開館するなど、公園内に日本を代表する美術館、博物館が集い、現在の姿になっていきました。

※廃仏毀釈(はいぶつきしゃく):仏教を廃するという意味。幕末から明治初期、尊王思想から神道と仏教を分離しようとする動きが広まり、仏教への弾圧や、寺院・仏具などの破壊活動につながった。

公園内にとどまらず、上野エリアには魅力的なアートスポットがいっぱい

上野は、上野恩賜公園内の美術館や博物館だけでなく、その近隣にも小さなギャラリーや、伝統と新しさを融合させた気鋭の工房など、多様なアートスポットが集まるエリアとして知られています。

その中で目を引くのが、リノベーションにより新たなかたちで再生を遂げたアートスポット。上野広小路駅、末広町駅、湯島駅の中間地点に位置する「3331 Arts Chiyoda」は、旧千代田区立錬成中学校を改修して誕生したアートセンターです。地下1階から地上3階の館内は、アートギャラリーやスタジオ、クリエイティブオフィスとして活用され、地域のアートプロジェクトの拠点にもなっています。日暮里駅を背に谷中霊園の並木道を抜けたあたりにある「SCAI THE BATHHOUSE」は、200年の歴史を持つ由緒ある銭湯「柏湯」を改装したギャラリー。下町文化を色濃く残す空間で、国内外における最先端の現代アートを発信し続けています。

また、アートを観るだけではなく、ものづくりに触れられるスポットとして注目されているのが、秋葉原駅・御徒町駅間の高架下にギャラリーや工房、カフェ、ショップなどが集う施設「AKI-OKA ARTISAN」。江戸の伝統工芸職人の街であった地で、人と人、人とモノを結び、新たなブランド価値を創出することを目的に誕生しました。クリエイターと直接話ができるスタイルが特徴で、若い職人やデザイナーの手によるこだわりの商品を間近にみることができます。

伝統的な芸術と、最先端のアートが交錯する上野エリアでは、貴重な作品の収蔵・展示やアーティストの創作・発表など、さまざまな活動が展開されています。アート鑑賞の際に、そうした街の息吹にも意識をフォーカスすると、その日の体験がいっそう特別なものになるのではないでしょうか?